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Yama_Blog

デザイン学科絵画コースを題材としたブログです。山口先生の考え方やスクーリングの様子などを掲載しています。

2008年11月7日
歌詞のない音楽。「言葉」は何も聴こえてこない。では何も伝わらないのか。そんなことはない。聴こえてくる「音」のもつ表情に心は動かされる。音楽。そこにはさまざまな音色の音があり、流れたり、跳躍したり、張りつめたり、漂ったり、積み上げられたり等さまざまな動きをもった音の表情がある。高低、大小、疎密、多少等様々な音の関係が醸し出す感覚的なドラマがある。絵画、造形も同じである。色や形。例えそれらが「人物」だとか「花」だとか「風景」だとか、具体的に「何」とわかるモノ(音楽でいう歌詞のようなもの)として描かれていなかったとしても、その色や形には表情がある。それらは画面の中で構成されさまざまな関係を築いている。音楽にしろ絵画にしろ、そのようにそれぞれの表現媒体自体の表現力が練り上げられていなければならない。歌詞のある音楽とか器楽曲、具象絵画でとか抽象絵画といった区別は二次的、三次的なもの。

愛について歌おうが、美しいモチーフを描こうが、音そのものを愛し、造形そのものを美しく育もうとする姿勢がなければ「愛」も「美しさ」も伝わらないと思う(という気構えで作者は作品に臨まなければならないと思う)。

ということで音楽の話題のついでに久しぶりに自作自演曲をアップする。

music-sketch4.mp3


2008年7月31日
独学で作曲をやってる。 作曲、と言ってもきちんとした譜面を作って作曲しているわけではない。即興的にリズム、メロディーを重ねて展開していく。作曲も即興も音楽が生まれる場という意味では同じである。 頭の中で曲が浮かぶということは即興であり、それを譜面に写すことが作曲となる。録音機もない、記録媒体が十分でな時代は譜面が唯一の記録媒体、頭に浮かんだ音楽を譜面に記すことが作曲と呼ばれる行為。しかし現代のテクノロジーの発達はすごい。頭に浮かんだ曲をその場で奏でれば演奏を録音できてしまう。いくつかの楽器を重ねていくことの可能、ついでに自動的に譜面も作ってくれる。そういう状況では即興と作曲の境界は極めて曖昧である。私がコンピュータで音楽をする、というのは既にどこかでできあがった譜面を音にするためではなく、正に今ここで生まれてくる音楽に出会うためである。楽器をならったこともない、音楽の知識もない、そんな私が音楽制作をこれほど身近にできるなんて、コンピュータはすごい。
やっているといろいろ気付くことがある。絵画制作との共通点にもいろいろと示唆を得ることがある。最終的にできたものが複雑でも、その複雑さはいくつかのシンプルなものの積み重ねた結果である、なんていうのも共通点である。

曲の作り方は様々だが、ひとつの判り易い例。

まずドラムを入れる 。余程ねらわない限り、ドラムだけでオリジナリティが出たり、何かを表現しきってしまうことはない。まあ、どこかで聴いたことがあるような、どこにでもあるような凡庸なもので構わない。

ベースを重ねる。ドラムのリズムに乗りながらいろいろと試行錯誤してみる。単純なドラムとベースの組合わせの段階ではそれほど強い個性を持たせない方法もある、また慣れてくればここでベースを工夫することで曲そのものの基本的なリズム感、メロディ感をつくってしまうこともできる。しかし、単純なパターンであっても、ドラムと組み合わせたそのノリは1+1以上、つまりドラム+ベースというふたつの楽器以上のもの、作曲のこれからに向けて刺激してくれるものを感じることができる。

そうやってあと、いろいろな楽器を重ねて行く。そのひとつひとつを解説していると、キリがないので省略する。重ねていくひとつひとつの楽器のリズムやフレーズはそれほどの新奇性や複雑さをもっていなくとも、ほんの少し、わずかに工夫すればそれらが重なることによって新鮮な楽曲ができてくるのである。

大切なことはプロセスの中で積極的に頻繁に対話が起こっていること。音楽はわかりやすい、様々に楽器を変えていく中で他の楽器で奏でたことを話し相手としていろいろ話題を膨らませていくことができる。私がやってる即興で作曲するとは、つまりそういうことなのである。

その点絵画は筆で絵具を塗っているという状況がずっとつづく。どこでプロセスが切り替わったかが見極めにくい。となるとどのプロセスのどんなものと対話すれば良いのかが見極めにくい、対話がしにくい、という状況になる。

だから、積極的に自分の制作プロセスに段階的にとらえ、段階事に何をどうしているのかということを意識的に行っていかなければならない。学生に絵画を指導する上で重要なポイントだと考える。そして段階ごとにやったこと、感じ考えたことを通じて自分自身と積極的に対話をしていく。仮にひとつひとつの対話によって導きだされたことが、些細なことであったとしても、そうした対話がいくつもいくつも重ねられていくことで、結果として現れる作品は造形としても作者の想いの表現としても強いもの、新鮮なものとなっていくのである。


2008年2月28日
music-sketch3.mp3
音楽のスケッチ2で、部品を繰り返したり、組み合わせたり、という作曲法を紹介しましたが、以前その応用編のような作品を作ったのを思い出しましたのでアップします。似たようなフレーズが少しずつ変化しながら、ちょうど波が次々と打ち寄せるような感じで進んで行く曲です。音楽の父バッハが得意としたフーガという作曲の技法がありますが、それを意識したものです。私は正式に音楽を勉強しているわけではないので正式なフーガのルールを知りません。あくまで「意識した曲」に止まるものです。

葛飾北斎の有名な「冨嶽三十六景」の中でも最も有名な「神奈川沖浪裏」(図版) 、手前の波と奥の富士山のカタチが呼応しているのがお判りいただけますか。行ってみれば形態のフーガです。「神奈川沖浪裏」は判り易い一例ですが、画面に秩序を生み出す方法としてカタチの呼応を利用している作品は決して少なくありません。いろいろ探してみてください。

因にアップした曲はまだ経験の浅いころの作品で音がよくありません。低音が歪んで聴こえるかと思います。私も音楽を作り始めてわかったのですが、曲を作るよりも、作った曲のバランスや音色や響きを調整したりして整える作業の方が往々にして時間がかかります。これも絵画制作に共通することだと思います。描きたいモノが描けた、と思ったら必ずしもそれがゴールではなく、その後に整えるという作業も大切なのです。


2008年2月28日
music-sketch2.mp3

昨日つくった曲です。例によってスケッチ的なものです。いろんな楽器(ギター以外はPC内の仮想楽器)で奏でたフレーズを繰り返したり、組み合わせたりして作ってあります。造形活動に例えるなら、正に積み木遊びのような制作方法です。これは様々な方法のひとつに過ぎませんが、美術と音楽、分野は違えど作品が創造される原理は根底では共通していると考えます。音楽を考えることで美術についての気付きを得る。美術を考えることが音楽を考えることにもなるのです。


2008年2月21日
音楽のスケッチ1 mp3
私はこんな曲をよく作る。楽曲として練り上げられる以前の、絵画に例えるならスケッチのような作品。
私自身の造形表現でそれほどコンピュータの恩恵を感じることはないが 、こと音楽制作になると、恩恵受けまくりである。
思いついた単純なフレーズを録音し繰り返させる。繰り返して聴きながら思いつくフレーズやリズムを即興的に重ねてみる。
お聴きのとおり、なんの盛り上がりもなく繰り返されるフレーズ。 楽器(ギター以外はコンピュータ内の仮想の楽器)も4つだけ。
ダラダラ、スカスカである。
私は肯定的な意味で「ダラダラ、スカスカ」と言っている。ぎっしりと内容が詰め込まれ、技術がちりばめられたものが良くないと言うのではない。
「ダラダラ」と繰り返される岸辺の波は、そのダラダラさ故、私たちを強くひとつのムードに誘う。
何の内容もない、技術のかけらもない、壁のシミや雲のカタチは、そのスカスカさ故、私たちのイマジネーションを能動的にさせる(何となく、何かに視えてくる)。
手を加え練り上げることも素晴らしいが、ほとんど手を加えていないものには、例え人工物であっても自然な無垢さを感じる。
画家の描くスケッチが、私たちを魅了するのも、そんなことがひとつの要因であろう。


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