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Yama_Blog

デザイン学科絵画コースを題材としたブログです。山口先生の考え方やスクーリングの様子などを掲載しています。

2009年11月24日
人間のモノの感じ方、考え方の生理に合致する表現の仕方。人間は実は「あいまい」が好きなのである。勿論日常生活の中で正確に事を運ばねばならない場面にあいまいな情報というのはつつしまなければならないだろう。しかしこれまで述べてきたようにあいまいさに触発され想像力が動き出すことは人間の感じ方、考え方の生理であり、無意識であれそのように能力が発揮されることは人間にとってよろこびであり快感となる。想像力を働かせていることは、生きて活動していることと同義である、想像力を働かせているということは生きていることの充実感に繋がると言っても過言ではないだろう。その意味で「あいまいさ」というのはとても大切なことなのである。

以前から私は、絵画表現において「あいまいさ」というのはとても重要な要素だと考えていた。「あいまいさ」と言っても、無計画、行き当たりばったりの結果としての「あいまいさ」ではない。しっかりとした意識、表現意図によって現された「あいまい」さ。あいまいさがそのあいまいさに触れた人それぞれの想像力を刺激する、そこにその「人」の感じ方、考え方が立ち上ってくる。絵画が伝達する情報はけっしてひとつの正確な情報に集約されるものではない。見た人がその曖昧さに自分自身を投影する。そこに豊かで多様、芳醇な世界が想像されるのである。


しかし、そのように「あいまいさ」と上手く付き合っていく、というのも難しいものである。経験を積むことが必要、ということである。先に人間の記憶の仕方の特徴として「あいまいな記憶」を「時間をかけて覚える」ということを挙げた、これは制作や鑑賞にも言えることである。直ぐにはっきりした結論を得ようと、ムキになるようりも、ある意味のんびりとアバウトにやっていく、というスタンスが大切なのである。






2009年11月22日
想像力は人間である以上誰もが持ち、日常的に発揮している力である。日常生活をつつがなく過ごすのに事足りるだけの使い方では満足できなくなると、今度はその「あいまいな記憶」というパーツを使って何か新しいものを作ってみようと思うようになる。誰もがその持てる能力を十全に発揮したいという欲望は持っている。同じパーツを使ってもイメージできることはひとつだけではない。あんなイメージもこんなイメージもできる。日常的には結びつかないようなパーツも想像力の中では結びつけることができ、それによって日常を超えたイメージを創出することもできる。想像力は無限に働かせることができる。このように本領を発揮した「想像力」によって、日常を超えたレベルのイメージを創出する、これを人は「創造」というのではないだろうか。その意味では創造は日常の延長にあるとも言える。創造は決して特別な天才芸術家だけのものではない。誰もが持ち、かつ日常的に働かせている想像力がその本領を発揮するところに「創造」はあるのだと思う。


2009年11月20日
あいまいに得た情報によるあいまいな記憶。しかしそのままでは、どうにもならない、使い物にならない。人間はその「あいまいな記憶」というパーツを使って、意味や価値を作り上げていく、物事を体系化していく、新しいものを生み出していく。その能力は、ほとんど無意識に行われている。直感的に発揮されている。その能力の代表的なものが「想像力」と呼ばれているものであろう。

「想像力」。単純に解釈すれば「像」を「想」い描く「力」。あるあいまいな記憶ともうひとつのあいまいな記憶、その別々の記憶を統合して某かの「像」をイメージする力。この力を作って人間は日常生活の中で得られる様々な情報、記憶を統合して「日常生活」をイメージし、そこで展開される自分の暮らし、生活をイメージする。そういうイメージを持てることで、そうして人間は未来へのビジョンを持ち、つつがなく生活を運んでいる。イメージを持つ力「想像力」のおかげである。


さて、その想像力であるが、日常生活がつつがなく過ごすのに、事足りるだけのポテンシャルに止まっているわけではない。人間の想像力にははかり知れないものがある。例えるなら時速300km出せる車を持っているが、日常生活の中では常にそこまでの能力全開を要求されるわけではない。せいぜい時速60kmで走っていれば事が足りる。想像力の使われ方はきっとそんな感じだろう。


しかし、誰しも持てる能力をあますとろこなく発揮してみたい、という欲望は持っているのではないだろうか。





2009年11月18日
しかしただ記憶の仕方が「あいまい」なだけではこうした成果は得られない。もうひとつ人間の記憶の仕方において重要な特徴があるという。それが「なかなか覚えられない」ということ。なぜ「なかなか覚えられない」という欠点にしか思えないようなことが人間の記憶にとって有利に働くのだろうか。先にありのままではなく特徴だけを押さえて記憶する「あいまい」な記憶について述べたが、もし学習のスピードが速くて「あいまい」に記憶してしまったならば、「表面に見えている浅い情報だけに振り回されてしまって、その奥にひそんでいるものが見えてこなくなっちゃう」というのだ。なるほど、じっくりと時間をかけ観察し厳選された情報を得ようとする、それが人間の記憶の仕方なのだ。

記憶の仕方があいまいであるということ、時間をかけなければ覚えら得ないということ、この本に述べられているこうした人間の記憶の特徴、絵画表現を考えていく上でも様々な示唆が含まれているように思う。





2009年11月15日
「正確で消えにくい記憶」の欠点とは、ずばり「融通が効かない、応用がきかないこと」なのだそうだ。作者曰く「そういう記憶は」基本的に役に立たない」。逆に人間の記憶のあいまいさの長所とは「臨機応変な適応力」にあるとのこと。例えば眼の前にいる「Aさん」を、写真で撮影したような、ありのままを明快に記録するような機械的で正確、かつ消えたり変化したりしない固定的な記憶で捉えたとすると、別の日に別の状況で別の服装をした「Aさん」と会っても、それを「Aさん」だということが判断できないのだそうだ。

そのように対象をありのままに記録するような記憶の仕方ではなく、対象の中から特徴となるポイントだけを押さえて捉えていく、それが人間の記憶の仕方。例えば写真で映せば相手のネクタイまで克明に記録できるが、そうした記憶がこの次会った時、それがあの時のあの人だということを判断する上でそれほどの意味を持たない(全くとは言わない。状況によっては大きなヒントになるだろうが)。何故なら次に会う時ネクタイは変わっている可能性が大きいから。ならば顔はどうだろうか。顔ですらひとつの角度から見たものを克明に記憶してしまっては、別の角度から視たときに応用が効かないのだそうだ。


その点、いくつかのポイントだけ押さえておいて、多少異なった状況にあっても、そのポイントが確認できればそれを同一のものとみなす、というのが人間の判断の仕方。そしてこうした記憶、判断の仕方が他の動物にはないアドバンテージを人間に与えている。それはどのようなものか。


その人の特徴を、ポイントをおさえて記憶しているから、角度が変わってもその人であると判断できる。その程度であるならそれほどのアドバンテージとは考えられない。しかし、事がもっと複雑になってきたらどうだろうか。例えば、私は、このブログでもしばしばやっているが、絵画についての考え方を料理やドラマなど他の活動に例えて説明することが多い。絵画を絵画の内側だけで考えるのではなく、例えば料理のように他の活動との関係で捉えることで、そこから得られる新鮮な感じ方、考え方、気づきがある。一見何の関わりもないような絵画と料理に類似点や相関感関係を見いだすことができるのも、この「あいまい」な記憶のおかげだと言えよう。私の例を挙げるのはちょっと僭越だったように思うが、そうやって人間は創造的な着眼点を得て、構想し、実現し、発展してくることができたのだ。記憶の「あいまいさ」のおかげで人類は進歩してきた。






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