Yama_Blog
デザイン学科絵画コースを題材としたブログです。山口先生の考え方やスクーリングの様子などを掲載しています。
以前から私は、絵画表現において「あいまいさ」というのはとても重要な要素だと考えていた。「あいまいさ」と言っても、無計画、行き当たりばったりの結果としての「あいまいさ」ではない。しっかりとした意識、表現意図によって現された「あいまい」さ。あいまいさがそのあいまいさに触れた人それぞれの想像力を刺激する、そこにその「人」の感じ方、考え方が立ち上ってくる。絵画が伝達する情報はけっしてひとつの正確な情報に集約されるものではない。見た人がその曖昧さに自分自身を投影する。そこに豊かで多様、芳醇な世界が想像されるのである。
しかし、そのように「あいまいさ」と上手く付き合っていく、というのも難しいものである。経験を積むことが必要、ということである。先に人間の記憶の仕方の特徴として「あいまいな記憶」を「時間をかけて覚える」ということを挙げた、これは制作や鑑賞にも言えることである。直ぐにはっきりした結論を得ようと、ムキになるようりも、ある意味のんびりとアバウトにやっていく、というスタンスが大切なのである。
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「想像力」。単純に解釈すれば「像」を「想」い描く「力」。あるあいまいな記憶ともうひとつのあいまいな記憶、その別々の記憶を統合して某かの「像」をイメージする力。この力を作って人間は日常生活の中で得られる様々な情報、記憶を統合して「日常生活」をイメージし、そこで展開される自分の暮らし、生活をイメージする。そういうイメージを持てることで、そうして人間は未来へのビジョンを持ち、つつがなく生活を運んでいる。イメージを持つ力「想像力」のおかげである。
さて、その想像力であるが、日常生活がつつがなく過ごすのに、事足りるだけのポテンシャルに止まっているわけではない。人間の想像力にははかり知れないものがある。例えるなら時速300km出せる車を持っているが、日常生活の中では常にそこまでの能力全開を要求されるわけではない。せいぜい時速60kmで走っていれば事が足りる。想像力の使われ方はきっとそんな感じだろう。
しかし、誰しも持てる能力をあますとろこなく発揮してみたい、という欲望は持っているのではないだろうか。
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記憶の仕方があいまいであるということ、時間をかけなければ覚えら得ないということ、この本に述べられているこうした人間の記憶の特徴、絵画表現を考えていく上でも様々な示唆が含まれているように思う。
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そのように対象をありのままに記録するような記憶の仕方ではなく、対象の中から特徴となるポイントだけを押さえて捉えていく、それが人間の記憶の仕方。例えば写真で映せば相手のネクタイまで克明に記録できるが、そうした記憶がこの次会った時、それがあの時のあの人だということを判断する上でそれほどの意味を持たない(全くとは言わない。状況によっては大きなヒントになるだろうが)。何故なら次に会う時ネクタイは変わっている可能性が大きいから。ならば顔はどうだろうか。顔ですらひとつの角度から見たものを克明に記憶してしまっては、別の角度から視たときに応用が効かないのだそうだ。
その点、いくつかのポイントだけ押さえておいて、多少異なった状況にあっても、そのポイントが確認できればそれを同一のものとみなす、というのが人間の判断の仕方。そしてこうした記憶、判断の仕方が他の動物にはないアドバンテージを人間に与えている。それはどのようなものか。
その人の特徴を、ポイントをおさえて記憶しているから、角度が変わってもその人であると判断できる。その程度であるならそれほどのアドバンテージとは考えられない。しかし、事がもっと複雑になってきたらどうだろうか。例えば、私は、このブログでもしばしばやっているが、絵画についての考え方を料理やドラマなど他の活動に例えて説明することが多い。絵画を絵画の内側だけで考えるのではなく、例えば料理のように他の活動との関係で捉えることで、そこから得られる新鮮な感じ方、考え方、気づきがある。一見何の関わりもないような絵画と料理に類似点や相関感関係を見いだすことができるのも、この「あいまい」な記憶のおかげだと言えよう。私の例を挙げるのはちょっと僭越だったように思うが、そうやって人間は創造的な着眼点を得て、構想し、実現し、発展してくることができたのだ。記憶の「あいまいさ」のおかげで人類は進歩してきた。
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